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母という女

母が亡くなって早いもので3年目である

父も2年前に亡くなった

 

仲が良かったのか悪かったのか

よくわからない夫婦だった

 

母は父に文句ばかり

父はそれを聞いているフリ

 

呑めないくせに呑んでは暴れる

ろくでもない父だった

しかし、子煩悩な父だった

 

優柔不断だった父だが

私には良い父だったと思う

裕福ではなかったが

暖かい家庭ではあった

 

「家庭」というものは

女次第なのかもしれない

 

母は道理的な人だった

父が優柔不断だったせいか

母の決断や行動力は

実に素晴らしかったと思う

 

どちらかと言えば

お嬢様育ちだった母

母の私への教育は

 

社会に出て

恥ずかしい思いをせずに

人と接しられるよう

しっかりと躾されたと思う

 

それを感じたのは

ホームヘルパーをしていたころ

利用者さまに言われたことで感じた

 

今では古臭い躾だが

それが功を成す

 

その躾をしっかりと

自分の子供へと教えていくことが

自分の役割だとも思う

 

父からも何も教えられなかったわけではないが

あまり必要ではなかったのかもしれない

 

週末になると

家族で麻雀をするのがお決まりだった

なので麻雀は幼稚園から始めた

 

花札も教わった

小学校のころ

友達を自宅に呼んで遊んでいた時

トランプ感覚で花札をやっていたら

父に「子供が遊ぶものではない」と

取り上げられて

かわりにトランプを与えられた

親に口答えすることがないようにしつけられていたし

トランプを手にしたので

文句はなかった

まぁ・・・

自分が教えたんだろうと思ったのは

覚えている

 

両親はどちらも昭和一桁生まれだったから

食事の時などのしつけは厳しかったのだろうか

 

あまり気にしたことがなかった

親が食べている姿を見て育てば

自然と「そういうもの」と思うのだと思う

 

例えば

座敷で食べるのなら

正座・肘をつかない・箸の使い方

食器を持つ・鼻歌など歌わない

 

当たり前と言えば当たり前だろう

・・・と思っていた

 

 

義父が膝を立てたまま食事をした

友人は鼻歌を歌いながら食事

おかずの器を箸で引き寄せた

 

自分には「え?」っと思うことが多かった

箸やペンの持ち方ですら気になってしまう

 

そのようなことをすることは

自分には違和感と感じるほど

母の教育は当たり前だった

 

私には一姫二太郎で子供がいるが

その姫が真ん中で

下の息子である弟に

「箸の持ち方直しなさいよ

 将来恥かくのはあんたなんだからね」

そう言ったのを聞いて

母の教えは孫にも受け継がれたんだなと思ったものだ

 

やさしくも厳しい母ではあったが

54歳で脳梗塞になり

右半身不随になった

どれほど悔しかっただろうか

そのころの母と今同じ歳になり

元気な母だったから余計感じる

 

その状態で28年生きた

その間に心臓・肝臓も悪くして

まるで病気のデパートだった

最後は肺がんで亡くなった

 

それでも明るくよく笑う人だった

そんな母が苦しい中意識も落ちずに待っていたのは

アルツハイマー認知症になっていた父だった

 

いつも文句ばかりで

苦労させられて辛い思いばかりしていた母

何度も兄と私に

「別れればいいのに」と言われても

決してわかれようともしなかった

 

最後の最後に伸ばした母の手を

取ることもせずその手はベッドに落ちた

兄が

「にぎってやれよ!!」

大声をあげたが

父はわからなかったのだろう

 

母の思いはその時はじめてわかった

私や兄がそばにいても

決して伸ばさなかった手

それを父にだけ伸ばしたのだ

 

母はその時

母親ではなく「女」として

この世を去ったのだろう

 

どんなに苦しめられても

最後まで

父を愛していたのだろう

 

父は母を愛していたのだろうか

父が亡くなってから

もう聞くこともできない疑問が

胸の中に残っている

 

私はそこまで誰かを愛せるだろうか

私は主人を亡くしている

主人は亡くなるとき

心肺蘇生のみで動いていた心臓

その状態で

幼かった息子にだけ

視線を向けた

 

一言も話すこともなく逝ってしまった主人は

父親として亡くなったのだろうか

 

母にしても

主人にしても

「残される者」に対しての心残りだったのか

自分が「その時」にならないと

わからないのかもしれない

 

私も主人を亡くしてから10年目に

今付き合っている彼と出会い5年になる

母親でもあり

女としても生きてみたい

 

「母親」は

「役目が終われば

 後は結果のみなんだ」

そんなことを母が言ったことがある

 

母が私が結婚したころに言った言葉だ

大人になってからは

あーだこーだ言ったところで

そう直るものでもないということだろうか

 

しかし、その言葉を聞いたときから

自分で子供の将来を考えて子育てをしたのかもしれない

 

子供は心の底から親に信用されれば

それに最低限でもこたえようとするものだろう

 

心の絆は

世間体や体裁ではできない

それは「母親」でも「妻」でも

同じことなのかもしれない