話し上手は聞き上手?
世の中
いろんな人いる
本当はやさしいのに
それをうまく表現できないんだろう
それを読みとってくれればいいが
大抵の人は表面だけで判断してしまう
第一印象で
「きつい人」と判断してしまうと
それを覆すのは時間がかかるだろう
やさしい言葉で話しかけられても
後から本性あらわす人もいる
男女間ではとても多い(笑)
私は幼少期に
厳しい祖父母の元で育って
知らず知らずのうちに
人の顔色ばかりみてきたのだろう
相手の顔をみると
なんとなく
言葉を交わさなくても
相手の気持ちなどもわかるようになった
会話というものは
自分のことを話すと
どんな無口な人でも
不思議と話してくれるもの
初対面で話すと言えば
天気のことや趣味のことを
聞くことから始まるものだけど
趣味のこと聞かれても
それにはたして合わせて話せるだろうか?
話術にたけている人なら
質問しながら会話につなげるが
まったくわからないこともわからない状態ならば
質問もできない
しかし、自分のことを話すのであれば
例えば
「天気いいですね」から始まれば
「この間天気よかったから
久しぶりにドライブしてきました」
「洗濯した」でもいい。
日常でやったことを
なんでもなくて話してみる
相手も話したい気持ちがあれば
そこから何かしら話すだろう
話というのは
ちょっとしたきっかけを与えれば
出てくるものである
子供との会話などもそうだ
子供が何も話してくれないという人
意外と多い
「○○しなさい」
ばかり言われたら
話す気にもならないだろう
我が家では子供が3人いる
スープの冷めない距離に離れて暮らしているが
子供たちは私がいないと話もしないそうだ
私と車に乗っていると
ずーっと話している
心のなかで「うるせ~」と思いながらも
こんなに話したいこと
溜まってたんだと思ったりする
子供が小学校高学年になると
会話がないという人が
私には不思議でしかたなかった
我が家では
「すこし黙れ」というくらい
話していた
「いつでも話聞くよ?」
などよく言う人がいる
そう言ってくれると嬉しいこと
でも、親子であれば
いつでも子供が話せる態勢でいること
それが一番大切なこと
その態勢が常に整っていれば
誰でもがいろんなこと話してくれる
それで少しでも
楽しかったり
苦しみや悩みから解放されてくれたら
うれしいと感じる
自分は何か役に立ってるのかなって
会話上手は聞き上手という
人の話を聞くのが楽しいと思う
そんな人間に育ててくれた両親に
感謝
ひとりなんだなぁ
静かな夜で
静かすぎて
さびしくなる
お笑い番組かけてみた
ひとりでみていても
つまらないものだ
家族で見ていた時は
笑えた
ひとりだと
ぜんぜん面白くないし
うるさいだけでだめ
車のレストアの番組
そんなの見ている
古い車が新車同様になっていく
自分もレストアできたらなぁ
車の整備をみていても
なるほどと思っても
自分では無理
機械いじりは好きだけど
リスクは大きすぎる(笑)
自分で好きなように直せたら
車ももっと楽しく乗れるんだろうなぁ
な~んて思いながら
レストアされる車を
見ているのがいい
一流の整備が整備した車
乗ってみたいなぁ
この車は通りすがりに見つけた車でした
■
青の世界
真っ青な海の間を飛ぶ鳥は
何を感じるのだろう
究極の自由だろうか
果てしない海の向こうがみえるだろうか
青と青の世界の中で
白い光となり消え去る鳥は
どこまで行くのだろう
海の上を飛んでいけたら
飛び跳ねる魚や
イルカの群れ
クジラも見えるのだろうか
どんな世界が広がるんだろう
そこにはきっと究極の自由があるのだろう
太陽は白いさざ波を光らせる
月は真っ黒な海に己を映す
海は美しく
時に恐ろしく
その時々の顔を見せる
海は地球の顔なのか?
機嫌の悪い時は荒々しく
機嫌のよい時は静かにすべてを受け入れる
深い暗い海にも命を宿し
時に優しく
時に厳しく
全てを育む
そして
海の深さはすべてを飲み込み
静かに眠らせる
眠っているものは永遠だろうか
いつか人の目に晒すのだろうか?
どこまでも飛んで行ったら
それを見せてくれるだろうか
はるかなる時の遺物を
海の上を飛ぶ鳥たちは
その恩恵をうけているのだろうか
果てしない空と海のはざまには
どんな奇跡が起こっているのだろうか
海をみていると
遠い水平線の向こうへと
心は飛んでいく
そして
頭の中でイルカをみて
飛び跳ねる魚をみて
シロナガスクジラの雄大さを想像する
そんな盲目の旅も楽しいものだ
■
やさしい言葉で
現代の言葉の使い方
SNSだと
顔が見えないからいろいろなこと言う
相手の傷つく顔も見えないから
なんとでも言える
書いてしまったら
そのまま
どんどんコメント入れば
自分の言葉は見えなくなる
無責任極まりない
親子や夫婦でも
メールやラインでしか話さない
そんな人もいる
だけど
根本的な問題は
現代人は「感謝」を忘れかけている
人はひとりじゃ生きられない
誰の助けもなく
生きているという人は
自給自足で
大自然の中で
たった一人で
お金も使わず生きている人以外ありえない
相手がいるからお金を使う
何かを買っていれば
それはその物を買うまでに
いろんな人の力を得ているわけである
沢山の人の力を出し合って
社会が出来ていて
その中で大抵、ほとんどの人が生きている
沢山の人に感謝するべき
日本語で
「おかげ様で」
この言葉は日本語ならでは言葉
感謝の言葉そのもの
感謝を忘れているから
あんな問題おきる
歴史ある国
美しい言葉を話してほしい
子供のころ
ディズニーのバンビの中に
「やさしいことが言えないなら
話しちゃいけない」
そんなセリフがあった
そんな風に育てられた人は
素敵な人だろう
■
心のつまり
誰にでも
これだけは人に言えない・・・
そんなことあるんだろう
馬鹿正直な私にだって多分ある
私と知り合った人はみんななぜか
「今まで誰にも言ったことないんだ・・・」
そう言って話してくれる
話終わると
ホッとしたような顔をする
私はあまり驚くということがない
自分のことですら
客観的にみているからかもしれない
誰にも言えないと思っていたことを
誰かに話すだけで
その重みはかなり軽くなる様子だ
つらい思い出や
愚痴だったりもある
愚痴すらも言えない人もいるんだ
人というのは
一人では生きられない
愚痴を聞いてくれる人
自分の弱さを見せられる人というのは
とても大切だと思う
自分が誰かのそんな存在になれることは
うれしいことだ
私なんかでも役に立てるんだなと思う
聞いてあげることしかできないけど
それでも・・・それでいいのかもしれない
誰でもそんな存在になれたら
世の中もっと良くなるんだろうと思う・・・
■
母という女
母が亡くなって早いもので3年目である
父も2年前に亡くなった
仲が良かったのか悪かったのか
よくわからない夫婦だった
母は父に文句ばかり
父はそれを聞いているフリ
呑めないくせに呑んでは暴れる
ろくでもない父だった
しかし、子煩悩な父だった
優柔不断だった父だが
私には良い父だったと思う
裕福ではなかったが
暖かい家庭ではあった
「家庭」というものは
女次第なのかもしれない
母は道理的な人だった
父が優柔不断だったせいか
母の決断や行動力は
実に素晴らしかったと思う
どちらかと言えば
お嬢様育ちだった母
母の私への教育は
社会に出て
恥ずかしい思いをせずに
人と接しられるよう
しっかりと躾されたと思う
それを感じたのは
ホームヘルパーをしていたころ
利用者さまに言われたことで感じた
今では古臭い躾だが
それが功を成す
その躾をしっかりと
自分の子供へと教えていくことが
自分の役割だとも思う
父からも何も教えられなかったわけではないが
あまり必要ではなかったのかもしれない
週末になると
家族で麻雀をするのがお決まりだった
なので麻雀は幼稚園から始めた
花札も教わった
小学校のころ
友達を自宅に呼んで遊んでいた時
トランプ感覚で花札をやっていたら
父に「子供が遊ぶものではない」と
取り上げられて
かわりにトランプを与えられた
親に口答えすることがないようにしつけられていたし
トランプを手にしたので
文句はなかった
まぁ・・・
自分が教えたんだろうと思ったのは
覚えている
両親はどちらも昭和一桁生まれだったから
食事の時などのしつけは厳しかったのだろうか
あまり気にしたことがなかった
親が食べている姿を見て育てば
自然と「そういうもの」と思うのだと思う
例えば
座敷で食べるのなら
正座・肘をつかない・箸の使い方
食器を持つ・鼻歌など歌わない
当たり前と言えば当たり前だろう
・・・と思っていた
義父が膝を立てたまま食事をした
友人は鼻歌を歌いながら食事
おかずの器を箸で引き寄せた
自分には「え?」っと思うことが多かった
箸やペンの持ち方ですら気になってしまう
そのようなことをすることは
自分には違和感と感じるほど
母の教育は当たり前だった
私には一姫二太郎で子供がいるが
その姫が真ん中で
下の息子である弟に
「箸の持ち方直しなさいよ
将来恥かくのはあんたなんだからね」
そう言ったのを聞いて
母の教えは孫にも受け継がれたんだなと思ったものだ
やさしくも厳しい母ではあったが
54歳で脳梗塞になり
右半身不随になった
どれほど悔しかっただろうか
そのころの母と今同じ歳になり
元気な母だったから余計感じる
その状態で28年生きた
その間に心臓・肝臓も悪くして
まるで病気のデパートだった
最後は肺がんで亡くなった
それでも明るくよく笑う人だった
そんな母が苦しい中意識も落ちずに待っていたのは
いつも文句ばかりで
苦労させられて辛い思いばかりしていた母
何度も兄と私に
「別れればいいのに」と言われても
決してわかれようともしなかった
最後の最後に伸ばした母の手を
取ることもせずその手はベッドに落ちた
兄が
「にぎってやれよ!!」
大声をあげたが
父はわからなかったのだろう
母の思いはその時はじめてわかった
私や兄がそばにいても
決して伸ばさなかった手
それを父にだけ伸ばしたのだ
母はその時
母親ではなく「女」として
この世を去ったのだろう
どんなに苦しめられても
最後まで
父を愛していたのだろう
父は母を愛していたのだろうか
父が亡くなってから
もう聞くこともできない疑問が
胸の中に残っている
私はそこまで誰かを愛せるだろうか
私は主人を亡くしている
主人は亡くなるとき
心肺蘇生のみで動いていた心臓
その状態で
幼かった息子にだけ
視線を向けた
一言も話すこともなく逝ってしまった主人は
父親として亡くなったのだろうか
母にしても
主人にしても
「残される者」に対しての心残りだったのか
自分が「その時」にならないと
わからないのかもしれない
私も主人を亡くしてから10年目に
今付き合っている彼と出会い5年になる
母親でもあり
女としても生きてみたい
「母親」は
「役目が終われば
後は結果のみなんだ」
そんなことを母が言ったことがある
母が私が結婚したころに言った言葉だ
大人になってからは
あーだこーだ言ったところで
そう直るものでもないということだろうか
しかし、その言葉を聞いたときから
自分で子供の将来を考えて子育てをしたのかもしれない
子供は心の底から親に信用されれば
それに最低限でもこたえようとするものだろう
心の絆は
世間体や体裁ではできない
それは「母親」でも「妻」でも
同じことなのかもしれない
■
ブログはじめました
日常で感じたことなど
日記のように書いていきたいです
統一性はないかもですが
詩なども書いていきたいので
基本書くと長いことが多いですが
よろしくお願いします